ジェリコの壁

自由って、なんでしょうかね
 

自由を感じるには、不自由さを感じてなきゃいけないし

 

 
最初っから居心地の良い空間や環境なら、違和感さえ感じないんですから
 

 

 
自分が自由か不自由かも気付けないんですから
 
 
 

 

 
 
 
 
AKIって自由だね〜ってよく言われてました

 

私はとても不思議なんですけどね〜

 

へぇ〜、私以外の人には私は自由に見えてるんだって感じです
 

 

 
 
例えば、離婚して子供もいなくて、実家暮らし

 

 
例えば、定職を持たず次々と転職
 

 

例えば、パートナーを作らず1人でいる
 

 

ただ、その環境をみれば、自由にやってる様にみえる。そのひとの価値観や色眼鏡というフィルターで見てるだけなんですけどね〜
 

 

 
 
私は努力は人にみせるものではないと思ってますし、努力は人知れず構築していくものだと。
 

 

 
だって努力は自分の為にするもんですから。
 
 
 

 

 
 
例えば、裕福な家庭で育ち両親も健在な環境なら。

 

例えば、長年同じ職を全うしてるが、違う可能性を見出したいのなら。

 

例えば、パートナーと上手くいってないのなら。
 
 

 

 
その人にとって、私は自由にみえるんでしょうね〜。それか、フラフラしてる様にもみえるかな
 
 

 

 
 
人は自分の見たい様にしか見なくて。

 

 
人は自分の聞きたい様にしか聞かなくて。
 

 

人は自分の言いたい様にしか言わなくて。
 
 

 

 
無意識のうちに自分という壁を作ってるんです
 
 

 

 
その外側に自分を持っていけない
 

 

本当は壁なんて、ないのに

 

 
内側に在るのは外側に在るのに
 

 

 
 
 
でも、私の中で、ジェリコの壁があるのなら。
 
 

 

 
 
母がずっと角笛を吹いていた
 
 

 

 
 
 
そして、今、私は崩れかけてるのかもしれない
 
 

 

 
怖いんです
 

 

苦しいんです

 

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でも、もし、自由ってものがあるのなら。

 

 
自由の裏側には、きっちりと、責任っていうものが張り付いてるのかもしれない

 

 
不自由の裏側には、思い込みっていうものが、しがみついてるのかもしれない
 

 

 
どちらを選択するのも、己の自由なんですよね
 

 

想いの伝え方

まず、最初にこのブログを訪問して下さる方々にお礼を申し上げたいと想います。
 

 

ありがとうございます。

 

 
 
母の事で私を気遣って下さる方々の想いで、溢れていますよ
 

 

私の涙も溢れっぱなしですよ
 

 

 
細々としたこっそりブログですが、皆さんの想いが伝わってくるんです

 

 
 
リアルで会ってる方も、読んでくれてるか、分からないんですけど
 
 

 

私、生きてます

母がこの世から居なくなったのは、事実なんですが。
 

 

母を想ってくれて、私にかけてくれる言葉

 

 
母を想っていた、私にかけてくれる言葉
 

 

何も言わず、いつも通り接してくれる言葉

 

 
そっと、私からのヘルプをただただ、待っていてくれる友人

 

 
喜怒哀楽を共に分かち合えれる、私のたったこの世に1人しかいない、大事な妹

 

 
支えられてるな~と感極まるんです
 

 

 
 
 
でも!

 

この時だからこそ、人の想いが見え隠れするんです

 

その人の想いがあぶり出されてくるんです

 

 
この時に、そんな言葉を投げつけるのか?

 

この時に、自分本位の想いを、ここぞとばかりに表してくるのか?

 

 
母以外の事での、ブロークンハートでした。
 

 

あたしの心は、悲鳴をあげました。
 

 

 
私は決して、聖人君子ではありません
 
 

 

悔しい想いもします。苦しい想いもします。相手に想う気持ちも真っ黒ですよ
 
 

 

お腹を下してトイレに行っても、トイレットペーパーが切れていておしまい!

 

とか

 

お腹を下してトイレに行っても、洋式の便座が上がっていて、そのまますっぽりお尻が挟まっておしまい!

 

とか

 

気分悪くて、洋式の便座へリバースした時に顔にお釣りがかえってきておしまい!
 

 

とか
(何故、全部トイレネタかは自分でも不明)
 

 

 
因果応報とか、宇宙の法則とかで、自分の蒔いた種は自分で刈り取る。だから、相手を呪わずとも?相手がきちんと自分で責任を取る形になるんですよね

 

 
でも頭ではわかっていても、人間ですもん

 

 
後ろから蹴倒したいぐらいになりますもん

 

 
後ろから首をそっと絞めたくなりますもん

 

 
 
その感情には、あえて蓋をしませんでした

 

ドロドロしてました。あたし、汚いな。
 

 

今は、その感情がサラサラになっていくのか、固まっていくのかは分かりません。自分次第なんでしょうね。

 

自分で自分の責任を取ります。
 

 

 
だけど、見守ってくれる人達がいる。

 

 
それは私が思ってもみなかった人達。

 

 
私は私を大事にします。

 

 
周りの人達を大事にします。

 

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上向いていきます
 
 

 

マザコンです

わたしは母の事が大好きなんですよ

 

 
わたしは4人兄妹の3番目に生を受けました。兄2人と、妹がいます
 

 

妹って言っても双子なんですよ~。17分違いで私の方が先に出てきました。

 

 
きっと、妹とお先にどうぞ~と言いながら譲り合いしてたと思います。

 

 
お腹の中で……
 

 

4人兄妹ですが、ほとんど母に育てられたと思います。

 

家族事情をM字開脚の様にあからさまにご開帳はしませんけども。

 

 
父は存在してるけど、存在していません。

 

 
母を配偶者として接していると感じることは子供目線から見ても無い気がします。

 

母はずっと耐えていて。

 

 
 
母は、自分の想いを語る事はとても少ないです。

 

そんな母から言われ続けてるのは
 

 

相手を思いやる事

 

嘘をつかない事

 

 
これは幼少の頃からずっと教えられてきました

 

 
いつも我儘を許してくれます

 

何か私達がやらかしても、

 

うちの子に限って‼︎

 

という前に、何故そうなったかを、キチンと聞いてくれる人なんです

 

母から人の悪口や噂話などは聞いた事がなかった

 

あの人はこんな方だよ~、この人はこう思ってるのかしらね~、とか。

 

その人の良い所にフォーカスするのが抜群に上手いんです

 

母の感情で怒られる事はなかった

 

ちゃんと、叱ってくれた。

 

母から理不尽な思いは受けた事がありません

 

 
逆に父や兄達から、理不尽な想いを受けてますけど~

 

兄妹全員、平等に接してくれるんです
 
 

 

 
母はとても純粋なんです。子供の私が言うのはおこがましいですが。

 

だからこそ、何かあったとしても人や物事に責任を押し付けるのではなく、自分をとことん責めるんです

 

わたしは母が病に伏せた時から、ずっと母のそばに居る事を決めました

 

 
長い闘病生活でした

 

 
母は先日逝去しました
 

 

自分が苦しくても私を気遣う人でした

 

自分が苦しくても笑顔でいようと努力してました

 

自分が苦しくても感謝の気持ちを表してました

 

 
母は太陽なんだよ、母はどんどん良くなるんだよ
 

 

愛してる、ありがとうなんて、小っ恥ずかしくて言えなかったけど、母と共に過ごすうちに何度も繰り返し伝える事が出来てたんです
 

 

私は後悔したくなかったから。

 

母にも後悔してほしくなかったから。

 

母は苦しい!と叫ぶなかで、魂では

 

生きたい‼︎

 

そう伝えてくれたんです
 

 

この医療を選択する時代の中で、何が正解か?どれが自分に合う治療法か?

 

高齢な母が、痛みと絶望で苛まれている最中、正常な選択が出来ますでしょうか

 

自分で情報を取りに行かないといけない。

 

情報を知識としなければいけない。

 

西洋医学だけではないんです。東洋医学だけではないんです。

 

母は私を信じてくれた

 

でも、私は母の想いを背負ってしまったんです
 
 
 

 

 

 

 
お母さん、嘘ばっかりついてごめんね

 

私はお母さんのお母さんでいるからって、とんでもない事を言っててごめんね

 

お母さんの苦しみを解く事が出来なくてごめんね
 

 

 
 
私はずっとみえないものって何なのかを考えてて

 

知りたくて
 

 

 
お母さんは最後にみえないものはみえるって事を教えてくれたね
 

 

たくさんの人達が会いに来てくれたね

 

たくさんの人達が別れを惜しんでくれたね

 

たくさんの人達に愛されてたんだね
 

 

 
私はお母さんの娘で本当に良かった

 

生んでくれてありがとう

 

そばに居させてくれてありがとう

 

お母さんの生き様を見せてくれてありがとう

 

 
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私は私でいれる様に生きていくからね
 
 

表現力満載な人

かさこ塾名古屋2期生同期の細密水彩絵師 柴猫由貴さんが、私の事を紹介してくれてます~

 

 

 
由貴ちゃんから見た私です~

 

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由貴ちゃんは、本当に面白い。

 

私が面白いって思うのはお腹の底から地響きのような笑いが込み上げてくるだけじゃなくて。その人の振り幅がデカイ人ってすごく魅力を感じます

 

由貴ちゃんとかさこ塾の帰りに駅まで2人で歩いて帰った事があったんですよ

 

由貴ちゃんの語る言葉には、ちゃんと魂が入ってた

 

そして、由貴ちゃんの絵を拝見させてもらうと、魂がのっかってた

 

もちろん、依頼されたお客様の想いものせて

 

由貴ちゃんみたいな人は、話をしなくても既に魅力的なんですね、はみ出てるんですよ

 

だだ漏れなんですよ、その人の本質が。

 

自分軸が立ってる。自分の現在地が分かってる。それってすごい事だと想います
 

 

 


 

 
それでね、私には、めちゃくちゃ大好きな友人がいるんですよ~

 

彼女は素直で純真で愛が溢れてるんですよ

 

すごく惚れてて彼女にしたいくらいです

↑すでに己のジェンダー超えてる(爆)

彼女には子どもちゃんもいて。その空間に入らせてもらうだけで、自分の中で癒しが起こってくるんです。

 

何も意図しなくても、自分軸に戻れるんです。時間を忘れてずっと居座ってます
↑まぁ~、ええ加減帰らんかいって思ってると思う

 

素直で純真で愛があるからこそ、その何気ない言葉で自分ってものに気付かせてもらうんです

 

AKIって、自分の事中々喋んないよね?

 

AKIって、思った事もっと喋った方が良いと思う

 

 
どんだけ、あたし、自分のこと、喋ってないの~⁉︎

 

もともと、私の事聞いて~とか、私、こう思うんだよ~、とか、自分アピールって苦手で。

ぐいぐいパーソナルスペースに入ってくる人が苦手で。

 

私といろんなもの共有したいって思ってくれてる人なら大丈夫なんだけど。奪う事しか考えてない人は、のっけから無理ぽ~

 

でも彼女はあっという間に、私のスペースに入ってきたんです。それがキラキラしてて、心地よかった

 

 
私は今まで分かる人が分かればいい、みたいな

 

私の行動で分かってくれるでしょん、とか

 

でもね~、皆がみんなエスパーとかじゃないから、自分の思ってる事って、やっぱり言葉で伝えなくちゃいけないなって思ったんですよ

 

それを気付かせてくれたのが彼女であり、今回参加したかさこ塾だったんです
 

 

 

言葉だけで行動が伴ってなかったり。

 

相手の気持ちも考えず、自分の自己主張だけ押し付けて、自己満で終わったり。

 

そういうのって、違うなって想うんです。

 

私は言葉と行動を一致させたい。出来ない約束は出来ない。

 

だけど、出来ないからって終わるのではなく、出来る様に最大限の努力を注ぎ込む。

 

だから出来ないという、限界を超えたいんです
 

 

 
自分の想いが熱いから良いのではなくて。

 

熱い想いがないと原動力にならないから。

 

自分の想いがクールだから良いのではなくて。

 

自分と他者を切り離すだけでなく、きちんと事象を精査出来る視点がないとダメだから。

自分の想いが温かくありたいんです。

どちらにも偏りたくないんです。
 

 

自分の好きな人に会いにいけるのは、すっごい幸せで。

 

自分の好きな人に好きだって伝える事が出来るのは、すっごい幸運で。

 

自分の好きな人が会いに来てくれるなんて、とんでもない至福で。

 

だからこそ、自分の好き嫌いをはっきりさせなくちゃいけなくて。

 

でも好き嫌いは常に変動してて良くて。

自分の信念でさえ、変動してて良いと想えるんです。
 

 

私はこれから、どんどん好きな人に会いに行きたいです
 

 

パニックの勢いって止まらない

私のパニック障害のきっかけは、喘息の発作でした。

息が出来ないっ!
 
それだけで充分、パニックです。それから、予期不安に悩まされ、このまま朝を迎える事が出来るのか?

 

あたし、大丈夫なのか?

 

うわー、やばい、やばい、どうしよう?

 

どうすればいいのよ~~!?

 

遺言残しとこ

 
真剣に書きました(当時は)

このまま、息が出来くなり、朝目覚める事がなかったら、引き出しにある日記だけはお願いだから読まないで!

 

 
 
今思うと、読んでちょうだい!と、言わんばかり
↑ダチョウ倶楽部風
 
 

 

次の朝は、きちんと目覚めましたけども。

 

 
と、言いますか、眠れないんですけどね。
 

 

 
想像力が、妄想力に切り替わる時、恐ろしいほど、自分の今の思考がどのレベルにあるかで、感じてくる、見えてくる世界が変わるんです
 
 
早く朝になって、病院に行きたい
↑いざ朝になると、行かない
 

 

早く朝になって、人と会いたい
↑人と会うのが怖くて外出出来ない
 

 

この相反する思いで、自分の価値をどんどん下げていってしまうんです
 

 

 
この時期は、在宅で仕事が出来てました
 

 

 
身体を動かす事も出来ず(喘息の発作がひどく安静状態でした)、私は律儀ですので、きっちりと薬を飲んでましたし。

 

 
治るのかな、と不安でした

 

 
◯◯しなくちゃいけない

 

◯◯するべきだ

 

◯◯するのが当たり前
 

 

こういった価値観で自分を狭めていってしまったんです
 

 

 
快方に向かったキッカケは、やはり、こんな状態じゃ嫌だと、気付いたからです

 

 
治るのかなではなく、治すんだっ‼︎と意識が切り替わったんです
 

 

まず、最初に始めた事は、身体を動かす事でした
 

 

まだ体力がない為、柔軟体操でもしんどかったです

 

そして、湯船での半身浴でした

 

シャワーだけではダメだと思ったんです

 

医師からは、肺の負担を減らす為、入るとしても胸の下まで、時間も短時間でと言われていました

 

 
が、自分が心地よかったので、少しずつ時間も増やしていきました

 

 
体力のない者には、入浴は大仕事ですから
 

 

少しずつ、自分にあったペースで身体を動かしていったんです