かーえーるーの〜
うーたーが〜
きーこーえーてーくるよ〜
ぐわっ
ぐわっ
ぐわっ
ぐらっちぇ!!!
名古屋名物・カエルまんじゅう
私の住む街では
カエルの合唱がすごいことになってますよ〜
どこぞの大きなカエルさんであろう……
ボリュームが大きすぎて
眠れないぐらいですよ〜
おれはいつでも寝れるにゃ
ここ最近、ようやく物を捨てることができてます
特に、物が多いわけじゃないんですけどね
自分の部屋だけでも
無意識のうちに
どんどんたまっていきますね
整理してたつもりでも出来てませんでした
先日、母の命日でした
まるっと3年が過ぎたんです
あっという間、ではなくて
無我夢中で生きてきた
心に余裕がなくても
想いが届いてないんじゃないかって
不安になる時も
どれが正しくて
どれが間違いなのか
わからなくても
3年という時間が過ぎました
母の遺品というもの
整理することが出来なかったんです
触ろうとするだけで
身体が動かなくなってた
物がね
何かをするわけじゃないです
肌身離さず、大切に使ってたってわけじゃないです
日常生活の中で使ってたもの
それが
触れなかった
涙が出てきちゃうんです
もうここにはいないって
わかってるのに
身体が反応するんです
少しずつだけど、整理することが出来ている
母が
ほとんどの臓器を摘出する手術を提案された時
私は、なんとか手術を免れないか必死で調べたんです
私のその当時の選択は
セカンドオピニオンでした
違う手術があるのか、回避できないか
すがる想いで行ったんです
そしたら
余命一年もないと言う告知
そんなの聞きにきたんじゃない
主治医でさえ、勝手に余命を計算してなかった
(この判断は間違ってない)
(検査の資料は不足しているけども…)
(これは…)
(あれは…)
今思えば、言いたいことはたくさん出てきますが
その時は
頭が真っ白になったんです
あゝ
これは母に言えない
あの衝撃は
誰も受けてはいけない
言葉で人は殺される
って思ったんです
その言葉に
意識がフォーカスしてしまう
母と口論になった時もありました
だけど、想いは一緒だった
生きるってこと
生き抜くってこと
想いはある
でもそれだけじゃダメなんです
行動しなくちゃ
動かして行かなくちゃいけない
だから私たちは
この次元に
この身体がある
見えないものが大切だけど
動くことによって
見えてくるんです
方向が違ってても
がむしゃらに動いてるだけかもしれないけど
やらないでいる後悔はしたくなかった
今でも、まだやれたことはあったって
想いは溢れてくるけど
現在、過去、未来
どんな自分からみても
同じ自分でいたかった
どこからみても
どこにあっても
変わらない大切なもの
それを選択する
自分で在りたいんです
ねえ、お母さん
私は変われたかな
私は変わってないかな
松田瑞恵さんの
瑞恵ことだま インスタグラム
瑞恵さんは
SHIEN学アドバイザーであり
昨年の島原市での天分発見ワークショップでご一緒しましたよ
瑞恵さんの言葉で
私は
救われました
今現在、福岡市で初個展が開催されています
私の大好きな、まきこさんが
素敵に紹介なさってました